負のレッテル

また、あいつか。

もう、しょうがないなぁ。

 

本人が積み重ねてきた言動によって、周りの人はその人にレッテルを貼ります。

 

特に、他と違ったり、他の人が迷惑と感じることをしている人。

本人はもしかしたら無意識なのかもしれないけど。

 

そういう子たちと話してて、気がつくのは口ぐせ。

 

どうせ。

無理。

できない。

 

そういうったワードが目立ちます。

 

なんでかなー。って考えたら、やっぱりレッテルなんじゃないかって。

 

あいつは無理だ。

とか、どうせまたやらかすから任せるのはやめたほうがいい。

とか、絶対できないし、やらないよ。

 

なんて、催眠術をかけるように、毎日のように言われるから。

 

そういう子たちの本音は、わからないけど、

でも、どこかにできるようになりたいって思う気持ちはあるはずで。

 

もどかしいね。

 

周りの人の言葉は聞くけど、気にしないでほっとく。

 

自分でできることをこっそり続ける。

 

これがいいのかな。

幸せはいつも側にある

父の日って、母の日と比べると陰が薄いよね。

そんなことを職場のお父さん仲間と話していました。

 

たしかに。

 

僕も忘れていたし…。

 

家に帰ったら、子供たちが妻と一緒に書いてくれた絵をプレゼントしてくれました。

だからすごくうれしくて。

 

体の真ん中がじわっとあったかくなりました。

これが幸せって感覚なんだなって、思ったんです。

 

自分の中にちゃんとあるんだなぁ。

最近仕事が忙しくて、疲れていて、感じられなくなっていたんだなぁ。

 

そう思ったのです。

 

幸せは、歩いてこない、だから歩いていくんだね。

 

あれは、物理的に歩いて(行動して)いくと言うよりかは、自分の気持ちや体の感覚に歩み寄っていく、そういうことなんじゃないかなぁ。

 

と、僕は解釈します。

 

もらった絵と、子供たちの写真を毎朝見て、

あぁ幸せだなぁって、感じながら1日を始めてみています。

 

結構いいかも。

 

 

 

 

 

推薦状

ある人に頼まれて、推薦状を書こうとしています。

なにから書いたらいいのやら。

とりあえずいいところを書き出してみよう、そう思って書いていたらいっぱい出てくるんです。

 

付き合いが長ければ長いほど、悪いところが見えてくるなんて言うけど、そんなこともないんだね。

うまくいくことを願って書きます。

自分の人生を生きるために

どこに向かっているのか?

なにをしたいのか?

 

常に自分自身に問い続けて、考えること。

 

まずはそこ。

 

なにもありません。

やりたいこともありません。

任せます。

 

そういう人は、人の人生を生きることになる。

 

でもね、そういう人に限って、頑固だったりするんだけど。

本当はやりたいことがあるんだけど、それをうまく表現できなかったり、今まで取ってきた自分像を守るために口にすることができなかったりしているの。

 

僕がそうだった。

 

でも、他の人には他の人の人生があって、意外にあなたのことを気にしていません。

 

だから、変わりたい、そう思った今がチャンス。

 

 

 

Speak English in simple words

Initially, I believed that it was smart to use complicated English.

However, I noticed that it was not true and using simple sentence which everyone can understand was more valuable.

Simple and easy English is understood easily by many people, so your opinion would be known by them. 

 

 

What a wonderful world

I see trees of green

Red rosses too

I see them bloom 

For me and you

And I think to myself

What a wonderful world

 

緑の木や

赤いバラが

僕たちのために咲いている

そう思ってる

そして思うんだ

なんて素晴らしい世界なんだって

 

サッチモの名曲。

 

幸せはどこにでもあって、誰もが受け取ることができる。

 

でも、なんだかだるいなぁと思っていたり、悩んでいることがあったりすると、それが曇って、なんて素晴らしい、だなんて感じられなくなってしまう。

 

でも、それって、自分のフォーカスする先をどこに置くかの問題。

 

幸せはどこにでもある。

自分の中にあるから。

 

 

嫌です を認める

子供対母親の

 

母「これやって」

子「嫌だ」

 

以下母

「やったら○あげるよ」

「やった方がいいと思うなぁ」

「何でやってくれないの」

「やってくれないならお母さんも言うこと聞かない」

 

で、

何でこの子は言うこと聞いてくれないの?

ってお悩みになる。

 

このやりとり

いろんな場面で何回も見てきた。

自分も子供時代を思い出しながら。

 

 

違和感を感じたのは、嫌だ。と言った後に、さらに行動を促すようなことを言うこと。

 

言われた本人としては、嫌だって言ってるのに。どうせ嫌だって言っても聞いてもらえないのなら話聞きたくない。(or無視)

 

となる。

 

リクエストした方としては、

子供の成長を思い、または純粋にお願いしたい、手伝ってくれたら嬉しい。

そういう思いだろうけど。

 

嫌だと感じるのには理由がある。

 

たとえ、めんどくさいから。

そんな理由だったとしても。

 

嫌な気持ちも認めてあげる。

あぁ今は嫌なのね。って。

 

そしたら、大抵のことは、手伝ってもらえなくてもできることだもの。自分でやろう。

 

子どもにもそう言うんだから。

自分でやりなさいって。

 

子どもはお手伝いさんじゃない。

 

そもそも、話を聞いてくれない人の話を聞きたいと思いますか?話をしたいと思いますか?

 

子どもの言うことを聞かないのは、自分なのではありませんか?

 

親が身をもって話を聞く態度を教えてあげたら、

子どもたちは、ちゃんとその時に親の話を聞いてくれますよ。

 

お互い様ですもの。